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始まりはスイスではなかった:ロレックス誕生の地「ロンドン」と移転の真実

始まりはスイスではなかった:ロレックス誕生の地「ロンドン」と移転の真実

1905年、ロンドンでの「時計商社」としての産声

ロレックスの物語は、1905年にドイツ人のハンス・ウイルスドルフが、義理の兄弟と共にロンドンで創業したことから始まります。当時の社名は「ウイルスドルフ&デイビス」。驚くべきことに、当初の彼らは自社で時計を製造するメーカーではなく、スイスから高品質なムーブメント(駆動装置)を輸入し、それをイギリス製のケースに収めて販売する**「時計専門の商社」**でした。

なぜ当時のロンドンだったのか?

20世紀初頭、ロンドンは世界経済の中心地であり、富裕層が集まる最大のマーケットでした。ハンス・ウイルスドルフは非常に優れたビジネスマンであり、「世界で最も成功するためには、世界で最も活気のある街で商売をすべきだ」と考えたのです。また、当時はまだ懐中時計が主流でしたが、ハンスは**「これからは腕時計の時代が来る」**と確信していました。当時の腕時計は精度が低く、女性用のアクセサリーと見なされていましたが、彼はロンドンの社交界やビジネスシーンを観察し、実用的なメンズ腕時計の潜在需要を見抜いていたのです。

 スイスへの移転を余儀なくされた「重税」の壁

ロンドンで順調に事業を拡大し、1908年には「ロレックス」というブランド名を登録したハンスでしたが、大きな転換期が訪れます。それは第一次世界大戦によるイギリスの税制変更でした。戦費を調達するためにイギリス政府は、時計の輸入に対して33.3%という極めて高い関税を課したのです。スイスからムーブメントを輸入していたロレックスにとって、この増税は経営を圧迫する死活問題となりました。

「時計の聖地」ジュネーブへの戦略的撤退

1919年、ハンスはついに決断を下します。イギリスを離れ、時計製造の本場であるスイスのジュネーブに本社を移転したのです。

この移転には2つの大きなメリットがありました。

コストの削減

 輸出入にかかる膨大な税金を回避できること。

技術の集積

スイスには世界最高の時計職人と部品メーカーが集まっており、自社で一貫した高品質な時計作り(マニュファクチュール)を行う体制を整えやすかったこと。こうして、イギリス生まれのブランドであったロレックスは、スイスの技術と融合し、世界最強の時計メーカーへと進化を遂げることになりました。

ロンドンの「商才」とスイスの「技術」の融合

ロレックスが今日の地位を築けたのは、ロンドンで培った**「世界を見据えたマーケティング感覚」と、スイスへ移ったことで手に入れた「妥協なき製造技術」**の双方があったからこそと言えます。もしイギリスの関税が上がっていなければ、ロレックスは今も「イギリスのブランド」として続いていたかもしれません。歴史の偶然とハンスの柔軟な決断が、現在のロレックスを作り上げたのです。

LUCIR-K

LUCIR-K

静岡の中心地にあるLUCIR-K(ルシルケイ)はブランド時計やヴィンテージ時計を扱うお店です。ロレックスやオメガ、カルティエ、グランドセイコーなど数多くのブランドとモデルを取り揃えています。

 

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