【静岡】ギリシャ文字の終端に込めた「究極」の証明:オメガ社名誕生の軌跡
高級時計の世界において、その名を知らぬ者はいない「オメガ(OMEGA)」。しかし、この名前が最初からブランド名だったわけではないことをご存知でしょうか。そこには、一時計メーカーが時計史を塗り替えるほどの技術革新を成し遂げ、自ら「これ以上のものは存在しない」と宣言した、誇り高き挑戦の歴史が刻まれています。
創業者ルイ・ブランと、名もなき名門工房

オメガの歴史は1848年、スイスのラ・ショー・ド・フォンに、弱冠23歳の青年ルイ・ブランが構えた小さな工房から始まります。当時は「ルイ・ブラン&フィルズ(Louis Brandt & Fils)」という社名で、職人たちが手作業でパーツを組み立てる伝統的なエタブリスマン方式の工房でした。彼の作る時計はその精度の高さから欧州全土で高く評価されていましたが、まだ「オメガ」という名前はこの世に誕生していませんでした。
運命を変えた1894年:「19ライン」ムーブメントの衝撃
転機が訪れたのは、創業者の息子たちの時代である1894年です。彼らはそれまでの時計作りの常識を覆す、画期的なムーブメントを開発しました。それが、伝説の**「19ライン・キャリバー」**です。
このムーブメントが画期的だった理由は、主に2つあります。
完全な互換性を持つ部品
当時は部品一つひとつを現物合わせで調整するのが当たり前でしたが、19ラインは全ての部品に互換性を持たせることに成功しました。これにより、修理の効率が劇的に向上したのです。
リューズひとつでの操作
現代では当たり前となっている「リューズを引き出して時刻を合わせ、押し込んで巻き上げる」という機構を、極めて高い完成度で実用化しました。
究極を意味する「Ω」への改名

このムーブメントの完成度の高さに驚愕した当時の銀行家アンリ・リエルは、ギリシャ文字の最後の文字であり、**「究極」「完成」を意味する「Ω(オメガ)」**という名前を冠することを提案しました。「これ以上の進歩は考えられない」「時計製造における最終到達点である」という圧倒的な自負を込めて命名されたこのムーブメントは、またたく間に世界中を席巻。あまりの成功とブランド力の高まりを受け、1903年、彼らはついに社名そのものを**「オメガ」**へと変更することに決めたのです。
「究極」という名の宿命を背負って

社名を「究極」にしてしまうということは、その後も常に世界最高峰であり続けなければならないという、自分たちへの厳しい戒めでもありました。その決意を証明するかのように、オメガはその後、1932年のロサンゼルス五輪から続くオリンピックの公式計時や、NASAの厳しいテストをクリアしたスピードマスターの月面着陸、そして現代の「マスター クロノメーター」による超耐磁性能の実現など、常に時計界の「究極」を更新し続けています。
LUCIR-K

静岡の中心地にあるLUCIR-K(ルシルケイ)はブランド時計やヴィンテージ時計を扱うお店です。ロレックスやオメガ、カルティエ、グランドセイコーなど数多くのブランドとモデルを取り揃えています。
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