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【郡山市】知ってほしい「ゼニス(ZENITH)」の魅力。

【郡山市】知ってほしい「ゼニス(ZENITH)」の魅力。

高級腕時計ブランドのひとつであるゼニス(ZENITH)。魅力的なモデルがたくさんあり、お好みの1本を見つけていただくのが最大の楽しみとなりますが、創業から長く続く歴史もその魅力です。今回、その創業者「ジョルジュ・ファーブル・ジャコ」に触れてみたいと思います。

 

目次

業界を代表するリーダーの誕生

実はアバンギャルド

ユネスコ世界遺産

世界展開

ゼニスの伝説的な愛好家

ゼニスの代表的なモデル

 

スイス風景
マッターホルンを望むスイスの山々

 

業界を代表するリーダーの誕生

ゼニスの歴史はスイスの山の中にある小さな村「ル・ロックル」から始まります。150年以上前の話をしていくのですが、機会があって数年前に筆者が行くことの出来たル・ロックルの街はところどころに腕時計製造の建物があり、人も増えていますが基本的には非常にのどかなままです。その村(当時)で1843年にゼニスの創業者となる「ジョルジュ・ファーバル」が生まれます。ジョルジュ・ファーブルは学校に通わず、9歳から時計製造を学び、13歳で独立します。そしてその7年後、結婚を機に現在知られている名前「ジョルジュ・ファーブル・ジャコ」を名乗るようになりました。100年間に数名と言われるほどの逸材であったジョルジュ・ファーブル・ジャコは、時計製造工場を立ち上げるだけでは満足せず、腕時計の一貫生産に必要な全ての職人を一ヶ所に集めるという、今日では当たり前に聞こえるようなことを始めます。これは、当時のムーブメントのパーツ製造が農業を営む人によって行われ、冬の間に時計製造をする彼らの仕事は非常に丁寧で優秀であったものの、あちこちに散らばって孤立していたことによります。この時代の最先端のコンセプトをもとに、腕時計業界に革命的な変化をもたらすのが1865年。ゼニスの創業となります。ジョルジュ・ファーブル・ジャコ弱冠22歳の年です。

 

ジョルジュ・ファーブル・ジャコ画像
創業者 ジョルジュ・ファーブル・ジャコ

実はアバンギャルド

革新者であったジョルジュ・ファーブル・ジャコは、常に最先端を導入していきます。その1つが社屋の建築構造。広く明るい工房には大きな窓が取り付けられ、その工房にが入る建物は電気照明を備えた町で最初の建造物となりました。各建物は通路で結ばれており、工房から工房への移動が雨天でも濡れずにできるようになりました。次に一貫した生産ライン。自社のマニュファクチュール内で、鋳造、圧延、型打ちを行い、ケースや文字板を製造することで、時計製造のパイオニアとしての地位を確立します。ちなみにその数年後に、ヘンリー・フォードがデトロイトの自社工場で同様のコンセプトを採用しています。そして最後に作業の組織化をします。単調な作業を避けるため、現在のキャスター付きのオフィスチェアのように職人が使うスツールをレールの上に固定することで、一方の作業場から次の作業場へと座ったまま姿勢を変えずに移動できるようにしました。ジョルジュ・ファーブル・ジャコは、時計製造業に生産の自動化を取り入れた最初の人物と言えるでしょう。

歩みを止めない革新者であったジョルジュ・ファーブル・ジャコは、創業したばかりの会社と従業員に対し、ゼニスの伝統となる「チャレンジ精神」を宿します。

 

フェリックス・バウムガードナー
成層圏からダイビングするフェリックス・バウムガードナー ゼニスの腕と計と共に

ユネスコ世界遺産

ゼニスが誕生したル・ロックルの町は、時計製造の発祥の地として知られています。ル・ロックルの町は隣町のラ・ショード・フォンとともに、都市建築および時計製造業を軸とした都市計画によって2009年にユネスコ世界遺産に認定されました。現在、ゼニスの社屋はもちろん内部は近代化していますが、街の景観を損なうことなく当時からの雰囲気を崩さない外観となっています。

 

世界展開

1870年代になると、チャレンジ精神に導かれたジョルジュ・ファーブル・ジャコは、自らが製作した腕時計を販売するために、ロシア市場を始め世界各地へと赴きます。そして1880年以降、ジョルジュ・ファーブル・ジャコの名前はロシア市場に定着しました。1900年のバンコク博覧会を迎えると、娘婿のジェームス・ファーブルとともに、さらに国境を越えた開拓をしていきます。20世紀初頭の彼らの移動は、交通機関が飛躍的な成長を遂げた一方、安全とは程遠いものでした。有名な「オリエント・エクスプレス」でさえ安全は保証されておらず、旅行者が盗賊によって金品を強奪されることも珍しくありませんでした。困難を前にしてもジョルジュ・ファーブル・ジャコとジェームス・ファーブルの2人は粘り強く、どこに行くにも現在よりもとてつもなく長い行程を強いられていた時代に、トランクの革の小型カバンだけを携え、徒歩、列車、車、船で世界中を駆け巡りました。こうして、1902年だけでも、ヨーロッパ、中国、満州、日本、南米、北米、フィリピン、インド、イギリスおよびオランダ領インドを訪れ、世界初の時計の流通経路を開拓して、ゼニスにパイオニアとしての地位をもたらせます。全大陸に視野を広げるというジョルジュ・ファーブル・ジャコの知的な戦略によって、1917年にロシア革命を引き起こしたロシア市場の閉鎖といった危機も乗り越えています。なかでも、鉄道会社や航空会社との商事契約は、ブランドを世界中に普及させる重要な足がかりとなりました。ちなみに、国鉄(日本国有鉄道)*現在のJRもゼニスと契約していました。創業者「ジョルジュ・ファーブル・ジャコ」のこうしたチャレンジ精神が現在のゼニスの礎となっています。

 

ガンディー画像
マハトマ・ガンディー

ゼニスの伝説的な愛好家

・モハンダム・カラムチャンド・ガンディー(マハトマ・ガンディー)

偉大な精神的指導者ガンディーと称された彼は、物質的な財産に固執しない心を説いていて、自分で作った腰巻きとトーガだけを身につけ、サンダルを履き、たった3冊の本と3体の象牙のサルしか持っていませんでした。そんな彼でも、非常に慕っていたインディラ・ネルーからプレゼントされたゼニスのアラームウォッチを所有していました。視認性の高い文字板とアラームで、旅やお祈りの時間を知らせてくれる実用性に魅力を感じてくれていたようです。この時計は一度盗まれた後、後悔した犯人がこの時計を返却したという逸話付きです。

ゼニスの伝説的な愛好家は他にもいます。ゼニスの腕時計は、史上最高のロックグループ「ローリングストーンズ」と共にステージに上がり、1911年にロアール・アムンセンと共に人類初の南極点到達を成し遂げ、フェリックス・バウムガードナーと宇宙空間からのダイビングを経験しています。ゼニスは人類の限界を打ち破るという夢の実現を見届けてきました。

1969年に登場する次の「伝説」はまたの機会に。

ゼニスの代表モデル

クロノマスター エル・プリメロ オープン 42ミリ

 

クロノマスター画像
03.2040.4061/69.C496 ¥1,034,000(税込)

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