キングセイコー、栄光の終焉と新たな旅立ち:販売終了の背景にある歴史のうねり
キングセイコー(King Seiko)が1970年代半ばにその生産を終えた背景には、単なる一つの理由ではなく、日本の高度経済成長の終焉、世界の時計産業を揺るがした「クォーツショック」、そしてセイコー社内でのブランド戦略の転換という、複数の歴史的な大波が深く関わっています。
クォーツ時計の台頭と「クォーツショック」

キングセイコーが生産を終えた最も直接的で大きな要因は、セイコー自身が世界に放った大発明、クォーツ時計(水晶時計)の登場です。
世界初のクォーツ腕時計の衝撃
1969年、セイコーは世界初のクォーツ腕時計「クォーツアストロン」を発売しました。これは、当時の機械式時計の精度をはるかに凌駕し、安価に大量生産できる可能性を秘めていました。
機械式時計の地位の揺らぎ
クォーツ時計の出現により、長年にわたり時計産業の主役であったスイスをはじめとする機械式時計は、一気にその存在意義を問われることになります。より正確で手入れが容易なクォーツが市場を席巻し始め、**「クォーツショック」**と呼ばれる大激変が起こりました。
キングセイコーの「役割の終焉」
グランドセイコーとともに、セイコーの機械式技術の粋を集めていたキングセイコーも、時代の流れには逆らえませんでした。高性能な機械式ムーブメントを擁していましたが、クォーツの驚異的な精度とコストパフォーマンスの前では、その技術的な優位性が相対的に薄れてしまったと言えます。
高度経済成長期の終焉と石油危機
時代背景としての経済的な変化も、終焉に拍車をかけました。
時代の変化
キングセイコーが活躍した1960年代は、日本が高度経済成長の最中にあり、より良いものを求める消費意欲が旺盛でした。しかし、1970年代に入り、**オイルショック(石油危機)**が発生。経済成長は減速し、人々の消費行動も変化しました。
高級機械式時計の需要減退
景気の減速と、安くて正確なクォーツ時計への注目が集まる中で、手間とコストのかかる高級機械式時計への需要は一時的に低下しました。この市場環境の変化も、キングセイコーの生産継続を困難にさせた一因です。
セイコー社内のブランド戦略の整理

グランドセイコー(Grand Seiko)とキングセイコーは、かつてセイコー社内の**「諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)」と「第二精工舎(現在のセイコーインスツル)」**という二つの工場が、技術と品質を競い合いながら製造した「良きライバル」の関係にありました。
競争から協調へ
この二大ブランドによる競争は、セイコーの機械式時計の品質を世界最高水準にまで押し上げましたが、クォーツ時代を迎え、限られた経営資源を効率的に配分する必要が生じました。
「グランドセイコー」への集約
最終的に、セイコーは最上位ブランドとしてグランドセイコーに舵を切り、社内の技術力を集約する戦略を選んだと考えられます。これにより、キングセイコーは惜しまれつつも、その第一期の役割を終えることとなりました。
そして、現代へ:栄光の復活

しかし、キングセイコーの物語は1975年に終わりませんでした。その**シャープで力強い「KSスタイル」**は、現代のデザインにも通じる普遍的な魅力を持っていたからです。機械式時計が見直され、その技術と歴史的価値が再評価されるようになった現代において、キングセイコーは限定モデルを経て、2022年についにレギュラーブランドとして復活を遂げました。これは、単なる過去の焼き直しではなく、かつてグランドセイコーと競い合った栄光の歴史と、普遍的なデザインの魅力が、現代においてもなお価値を持ち続けていることの証と言えるでしょう。
キングセイコーの販売終了は、技術革新という時代の大きな波が、一つの優れた製品の歴史に幕を下ろした出来事でした。しかし、その遺産は技術として、そしてデザインのエッセンスとして、現代のセイコーに受け継がれています。
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